現状を把握し、打破する

最近のわたしはというと、とにかくダメ人間の一途をたどっている。
仕事では失敗続き、信頼はガタ落ち、「あいつはもう無いわ」と噂されているという話が本人の耳にまで届く始末。全て事実なのだから、身から出た錆である。

誰に対しても、取り繕う癖が抜けない。見栄を張り、できないことをできるといい、嘘ばかりついていたものだから、気がつくと本音で話ができる人が1人たりともいなくなっていた。誰に対しても、嘘で塗り固められた自分でしかない。さらに悲しいことは、その事実に気付いたのがほんの最近だということだ。

顔を使い分ける器用さなんて到底持ち合わせていないのに、あの人の前ではこう、この人の前ではこう、それが正しいとすら思っていた。人に合わせることが優しさで正義、合わせてあげているとさえ思っていたのだから、おこがましいにも程がある。

思えば昔からそうだった。面倒ないざこざから逃げ、見えないふりをした。中学生のとき、自分と仲の良いグループが内輪揉めしているのをこっそり見ていたら、後輩に「先輩、あそこ入らなくていいんですか?先輩の名前も聞こえましたけど」と言われた。しっかり自分もかかわっていた揉め事だったが「いや、なんか怖そうじゃん」とそのまま逃げたこと。遠足のおやつを一緒に買いに行くか行かないか、といったような揉め事だったと記憶している。内容にしてみれば子供っぽくてしょうもないが、自分が渦中にある揉め事から逃げた罪悪感や背徳感を鮮明に覚えている。その後、揉めていた友人たちは和解し、わたしは素知らぬ顔をして輪に戻った。ずるい。

怒られることを避けている人生だった。怒られる、責められる、という事象を必要以上に怖がりすぎて、今では怒られたときにパニックを起こしてしまう。いつからこんなどうしようもない人間になってしまったのだろう。いや、きっと昔から、コツコツと積み上げてきた負の遺産なのだ。

しかしいま、こんなわたしに向き合ってくれている人がいる。かなり厳しい人生の師匠である。こんなわたしの人格の全てを否定し、生まれ変わらせてくれようとしている。ありとあらゆる手段を使って、毒には毒で立ち向かってくれている。応えなければならない。間違いなく、これが最後のチャンスだ。逃げるという選択肢はない。挑戦する、変わるという選択肢しか、わたしには残されていない。

本音で語り合えるようになりたい。ありのままの自分をさらけ出せるようになりたい。その先の世界を見たい。きっと明るいはずだ。

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