森と電車と水族館

10歳の娘がキャンプへ行った。自宅の最寄駅から電車に乗り、1時間ほどかけて少年自然の家へ。一泊して電車で帰ってくる予定だったが、翌日のお昼過ぎに少年自然の家から電話がかかってきた。
「娘さん、水族館でお小遣いを全部使っちゃって、帰りの電車賃がなくなっちゃったそうです。迎えに来れますか?」
あらら。しっかり者の娘ではあるが、ちょっとばかし、そんな予感もした。まあ、これも勉強だ。さいわい体が空いていたので、現地まで車で迎えに行くと返事をした。

農道を抜け、曲がりくねった山道を登る。昨日の雨で、落ち葉がアスファルトをカラフルに染めている。滑らないようにゆっくりと車を走らせながら、わたしが初めてひとりで電車に乗ったのはいつだっただろうか、と思い返していた。

高校3年生の夏、大学のオープンキャンパスへ行ったときに新幹線と特急をひとりで乗り継いだ記憶が思い起こされた。しかしそれが初めてだったわけではないはずだ。電車文化ではなく、バス文化で育った。もっといえば、どこまでも自転車で行けた平野部で育った。チャリ文化だ。小学生の頃から、繁華街へ遊びにいくときはバスで410円だった。電車に乗るのとほとんど変わらない感覚だろう。あの頃は大冒険だったが、今思えば狭い範囲で生きていたのだと思う。小学校を卒業したとき、卒業記念に仲良しグループで街へ出てマック食べてロフトで買い物して映画に行こう、と計画を立てていたら、羽を伸ばし過ぎだと親たちに心配された記憶も出てきた。かわいいものだ。狭い世界だ。でも心配する親の気持ちも、今となっては分かるのだ。

幼少期のさまざまな記憶が駆け巡りながらも、結局はじめての電車は思い出せなかった。いつ乗ったんだろうなぁ。きっと新鮮な気分だったに違いない。はじめてひとりで飛行機に乗ったときのように、ドキドキとそわそわにあふれていただろう。そして目的地に着いた達成感はひとしおだっただろう。

はじめて、を大切にしよう、とあらためて思った。全ての事象を義務的に扱わず、自分の中の体験として大切に落とし込めるようにしたい。短い人生の中、わざわざ足を運ぶのだ。わざわざ時間を割くのだ。今月末、東京・鎌倉・葉山へ旅行に行く。先輩にも楽しんでもらえるよう、そして私も楽しめるよう、まずは下調べをしっかりして行こう。そして現地での感動を逃さぬよう、しっかり観察しよう。「行けばなんとかなる」と思っているから、いつも甘いのだ。一瞬を大切にすれば、いつだって感動はそこらじゅうにあふれているはず。

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